昨日の日経新聞夕刊に、標記の記事が載りました。
大阪市が北区中之島に新美術館を建設するのに伴い、閉鎖する方針を固めた市立美術館(天王寺区)。
とありますので、今のところ、大阪市立美術館さんを閉館する方針は強いのでしょう。いつも批判?していますが、何でも新しくピカピカなものが好きな、少なからぬ大阪人にとって、「築後77年が経過して老朽化が問題となっている(同記事)」大阪市美さんは、魅力のない存在なのでしょうか。
同記事において;
96年から2001年まで同館長を務め、フェルメール展や円山応挙展などで入館者数を飛躍的に伸ばした蓑豊・兵庫県立美術館長は「閉館方針は大きな衝撃。美術界への影響は甚大だ」と憤りを隠さない。「元来、住友家から美術館を開くため敷地を寄付されたはず。一方的な廃止は非常識で、寄託品の返還を求められてもおかしくない」と強調する。
とあります。一般の方はご存じないでしょうが、国立博物館など日本の歴史ある博物館や美術館では、その館蔵品に占める「寄託品(預かり品)」の割合はきわめて高いのです。
大阪市美さんの場合、「70年の歴史の中で約8000点の所蔵品と、7000点にのぼる社寺やコレクターなどからの寄託品を収蔵する(同館HPより)」とあります。
つまり、博物館や美術館は自らの館蔵品のみならず、地域の文化財、美術品を保存、公開する機能も備えています。
これは長年の社寺などの信頼の上に成り立つ「協力」関係があってのものであり、ハード、ソフトとも所蔵する環境が激変する場合、蓑さんが指摘するとおり、「寄託品の返還を求められてもおかしくない」のです。
もちろん、美術館の機能はそれだけではありません。近年、美術館は観光拠点としての機能が重視されており、そうした短期経済的な視点から、「閉館、統合して中之島に新美術館」という方針が出てくることは十分理解できます。
しかし、昨日も書いたとおり、美術品、文化財の保護という歴史的な視点からは、地質、地形から見て、中州・人工島である中之島より、上町台地上の茶臼山のほうが、圧倒的に安全です。
近代の防災や建築技術を信頼して、中之島には多くの公共施設が建てられてきました。しかし、東日本大震災を経験した後、あえて中之島にそうした施設を建築することは、はたしてどうなのでしょうか。