2013年04月08日

『愛の渇き』再々〜読

先日、ひさしぶりに長時間電車に乗るため、実家にあった三島の『愛の渇き』の角川文庫本を手に取りました。ぱらぱらとめくってみて、「これはまだ読んでいないな」と思ったからです。

読み進めてみると、以前読んだことに気がつきました。それもおそらく何度も。私は三島が好きで、おもな作品は読んでいますが、これほど記憶に残っていない作品もめずらしい。私にとっては彼の凡作の一つか。

読後、発行年をみて少し驚きました。角川文庫版が1951年、初出は1950年ですから、三島はまだ25歳です。最初期の作といえます。晩年に近い作品かと思って読んでいました。

三島が何も変わらないということ、正確にいえばその「美学」の構造が変わらないことに驚いたのです。

ところで『愛の渇き』は大阪、豊中の米殿村が舞台となっています。米殿村は現在の豊中市旭丘地区らしく、阪急宝塚線岡町駅も登場します。

この作品の舞台として「米殿村」がでてきますが、現在の旭丘(旧熊野田村)のことで、三島の叔母家族が住む一万坪の農園と和風カントリーハウスがありました。昭和24年に三島は叔母の家にも宿泊し、この作品を執筆しました(豊中市立図書館ホームページより)。

本作冒頭の大阪・梅田周辺の描写は、半世紀以上たった今でも通用しそうです・・・一度、阪急宝塚線に乗って、岡町駅に行ってみたくなりました。

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2011年11月10日

『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』

知人の言水ヘリオさんが編集を担当された、『せんだいノート ミュージアムって何だろう』を読みました。

 

この本は、当初今年三月末に刊行され、無料配布される予定でしたが、大震災の影響でその刊行が危ぶまれていたものです。三樹書房さんのご協力を得て、ほぼ当初の内容のまま、先日刊行されました。おめでとうございます。

 

帯には「仙台・宮城のミュージアム情報誌」とあり、巻末には博物館などの一覧やマップもついていますが、通常の情報誌とはまったく異なり、地域に遺されたさまざまな有形無形の文化遺産を、一種のミュージアムとして見立てている。そしてこの本自身がひとつのミュージアム的存在となっています。

 

いろんなテーマが取り上げられていますが、津波で大被害を受けた南三陸町の「きりこ」、『ノンちゃん雲に乗る』で有名な「ノンちゃん牧場のいま」、ダダカンこと、「糸井貫二 一期一会」などなど、ユニークで興味深いものばかり。

 

私は仙台の近くの町で六年間暮らし、よく仙台にも出かけましたが、私の知っていた、イメージしていた仙台や宮城とは異なるどこか柔らかい姿が、そこに描かれています。

 

もともと無料配布を目的としていたからか、いわゆる悪い意味でのコマーシャルな感じがなく、「人」を核とした文化の舞台裏?みたいなところをうまくすくい上げています。そしてまた、言水さんをはじめとする関係者さんの、地域と「本」というメディアに対する愛が、ひしひしと伝わってきます。

 

けっして大部ではなく、派手な内容でもありませんが、ミュージアムというより地域文化全般に興味のある方には、ぜひおすすめいたします。仙台や宮城にあまり関心がない人にこそ、手に取ってほしい気がします。

 

※画像をクリックするとamazon Japanさんのページに飛びますが、おそらく大きな本屋さんであれば取り扱っていらっしゃると思います。

 

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2010年12月14日

「一夜限りのトリスバー 開高健さんしのび開店」

一夜限りのトリスバー 開高健さんしのび開店

 

【大阪】作家の開高健さん(1930〜89)が少年期から青年期を過ごした大阪市東住吉区の旧宅で10日、開高さんをしのぶ「一夜限りのトリスバー」が開店した。

旧宅は今月半ばにも売却、解体される見通しで、「バー」はまちづくりボランティアらが企画。事前予約したファンや同級生ら約40人が集った。

「バー」では、開高さんが寿屋(現・サントリーホールディングス)社員時代に生み出したキャッチコピー「トリスを飲んで『人間』らしくやりたいナ」の言葉で乾杯して開会。約30年前に開高さんが母校の大阪府立天王寺高校(旧制天王寺中学校)で講演した時の録音テープが流され、生前の開高さんの思い出話に花が咲いた。

旧制中学時代の同級生の京都大名誉教授、作花済夫さん(80)は「開高は気さくな勉強家だった。たくさんの人たちが集まってくれてうれしい。すごい作家なんだと再認識しました」と話し、笑顔でグラスを傾けた。【矢島弓枝】

2010年12月11日(毎日新聞

 

そういえば今年は開高健の生誕80周年でした。私の老父とほぼ同い年です。大阪出身の作家でもありましたね。

 

開高健といえば、私にとっては同世代?の作家であり、彼のいわゆる釣り小説(紀行文)などはリアルタイムで読んでいました。初期の社会派?小説に触れたのは、たぶん高校時代であったと思います。

 

あらためて彼の作風の変遷というか、人生の紆余曲折を考えてみると、彼も典型的な東洋的文人の一人であったのかな、などど思います。

つまり、若いときはとんがっていて、華々しい活躍をしたが、ある転機を迎え、晩年は竹林に隠棲し鳥魚と遊ぶ、という感じですか。

ある意味、うらやましくもあり、少しさみしくもある。

 

彼の代表作はいろいろありますが、若いころに読んで感動したのは実質的なデヴュー作の『パニック』です。ハードボイルド(死語)な文体にしびれました。おすすめです。

 

ただし、同時代に活躍した三島あたりと比べると、どこかB級の匂いがすることは否めません。しかし、そこが彼の(作品も)愛される所以なのかも知れませんね・・・。

 

若いころお世話になった?、トリスをまた飲んでみたくなりました

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2009年11月11日

雨の休日

展覧会を始めたことによって、ついに私にもまがりなりにも「休日」が与えられ?ました。

 

今日の大阪は雨。こんな日は、ぼんやりするのが一番です。

 

昨日、井伏鱒二のことについてふれましたが、彼の釣りの師の一人に福田蘭童がいます。ご存知のように青木繁の息子で、音楽家とされていますが奇人変人。手先の感覚が異様にすぐれていたため、釣りの天才だったようです。『川釣り』の一編にも登場し、鮎の餌釣りの秘密のエサが話題となり、井伏にそれが何かは教えてくれず、奥さんに内緒で尋ねてもダメだった、とのオチがついています。

 

しかし、どうやらその後井伏はその秘密を福田に伝授されたらしい。なぜなら、井伏はその秘密(秘技)を孫弟子である開高健に『福田蘭童開発 鮎餌釣技法』として伝授しているそうだからです。

 

開高健も無類の釣り好きの作家として有名です。釣り紀行文の名作も多いですが、私はちょっとトンがった短編もけっこう好きです。

たとえば『玉、砕ける(1978)』。これは海外取材に疲れた開高が、帰路香港に古い友人を訪ねた時の回想、という設定です。開高は文学通の友人(中国人)に、何年来もの問いを投げかけます。

 

「最近数年間、会えばきっと話になるけれどけっして解決を見ない話題がある。それは東京では冗談か世迷言と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。白か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す。しかも沈黙していることはならぬといわれて、どちらも選びたくなかった場合、どういって切りぬけたらよいかという問題である。二つの椅子があってどちらかにすわるがいい。どちらにすわってもいいが、二つの椅子のあいだにたつことはならぬというわけである。しかも相手は二つの椅子があるとほのめかしてはいるけれど、はじめから一つの椅子にすわることしか期待していない気配であって、もう一つの椅子を選んだらとたんに『シャアパ(殺せ)!』、『ターパ(打て)!』、『タータオ(打倒)!』と叫びだすとわかっている。こんな場合にどちらの椅子にもすわらずに、しかも少くともその場だけは相手を満足させる返答をしてまぬがれるとしたら、どんな返答をしたらいいのだろうか。史上にそういう例があるのではないだろうか。数千年間の治乱興亡にみちみちた中国史には、きっと何か、もだえぬいたあげく英知を発揮したものがいるのではないか。何かそんな例はないものか。名句はないものか」

 

と。友人は決して答えてくれません。その後、開高は風呂屋で玉になるほどの垢を落とし、帰国の見送りに来た友人から、文化大革命による老舎(中国の小説家)の非業の死を知る、というものです。

 

この作品からは開高の、いろんな意味での「静かな絶望」というものが伝わってきます。考えてみれば、60年代、反戦活動家の一人だった彼が、1970(昭和45)年に新潟の銀山湖に籠ったころ以来、釣りにヨリ傾斜したのも、政治的絶望感からだったのでしょう。

 

ウォルトン、福田、井伏、開高。釣り好きの作家には、どこか政治や戦争がらみの厭世的な気分がただよっています。そして、何やらヒミツありげです。もちろん、中国の仙人思想を見るまでもなく、これは古今東西変わらないのでしょう。

 

ところで、いずれも私には「性格がすごくイヤミなオッさん」たちに思えるのは、なぜなのでしょうか・・・。

 

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2009年11月10日

六日目(凡作)

掃除がてら、梅香堂一階の本棚をぼんやりながめていると、『釣魚大全』が。

いうまでもなく、世界文学史上、燦然と輝く?アイザック・ウォルトンの古典的名著です。

 

何気なく手にとってパラパラと。つまらない、つまらなすぎです。翻訳は流暢で、読みやすいこと至極なのですが、とにかくつまらない。魚や釣りがけっこう好きな私でも、数ページ以上読み進めません。

17世紀半ばのイギリス文学ですから仕方ない、とはいえ、当時シェイクスピアの戯曲が一世を風靡していたであろうことを考えると、こんなつまらぬ本が彼の生前五版を重ねたことは解せません・・・。

 

釣り文学というと、日本では井伏鱒二の『川釣り』が有名です。これも最近読み直してみたのですが、おもしろいといえばおもしろいですが、つまらないといえばつまらない。短編集なのですが、諸処に『釣魚大全』や、大先輩、幸田露伴への傾倒が見られます。

 

井伏鱒二といえば日本近代文学の巨匠で、文化勲章も授章しています。私もいろいろ読んでいますが、たとえば名作とされる『黒い雨』。この作品もおもしろいといえばおもしろいですが、つまらないといえばつまらない(あくまで文学的な意味でですよ)。連載による長編なのですが、全体の構成が不自然で、部分的に見るべきところはありますが、盛り上がりに欠け、読後に妙な違和感を残す作品でした。

 

後日、この作品が『重松日記』というまったく他人の日記を底本にしたものらしい、との説を知り、「なるほど」と思ったことがありました。

つまり、おそらく、底本から昇華したストーリーそのものはおもしろいのですが、彼「オリジナル」の全体の構成や文体などはつまらないのではないか、と。もしかすると『川釣り』の印象も同じ理由からかも知れません。

 

その意味で、オリジナル至上の近代的価値観から見れば、井伏鱒二は凡庸な作家であったのかも知れません。しかし、芸術というものは深い?もので、オリジナル至上主義なぞ、せいぜいここ二、三百年ほどの価値観だともいえます。

 

ちょっと飛躍しますが、『釣魚大全』がつまらないのは、この作品が底本を持たぬ純然たる「オリジナル」であることによるのかも知れませんね・・・。

 

(蛇足ですが、大の釣り好きであった岡倉天心の、弟で英文学者の由三郎が、『釣魚大全』を教本として註訳しているそうです)

 

***

 

本日のお客さんはご近所の青年お二人組。また来て下さるそう、ありがたいことです・・・。

明日、明後日は梅香堂はお休みです。

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