ニッポン密着:新潟市美術館 独断運営でほころび 生え抜き学芸員放出
かびやクモなどが展示室内で発生した新潟市美術館(同市中央区)は、今春予定していた中宮寺や法隆寺などが所蔵する国宝、重要文化財を展示する「奈良の古寺と仏像」の会場とすることを断念した。美術関係者が疑問視する「管理レベルの低下」の一因は、市美術館を巡る独断的な運営と人事とみる市民も少なくない。国内外から信頼を失った市美術館で何が起きていたのか。
<ここ3、4年の一連の人事は異常である。開館25年目になるが、これまで学芸員を中心に、寝食も忘れて培ってきた館の品格と伝統を思うと、なんとも空(むな)しさを感じる>
市美術館を支援する市民らでつくる市美術館協力会の会報「ななかまど」(09年5月号)。紙面には、協力会世話人代表が寄せた辛らつな市美術館批判が載っていた。
一連の人事とは、北川フラム前館長(12日付で更迭)の就任した07年4月から2年間に、4人いたうち、生え抜きのベテラン学芸員3人が異動させられたことだ。現在、谷哲夫氏は西蒲区役所地域課、神田直子氏は職員健康管理課、木村一貫氏は市歴史博物館(出向)でそれぞれ働いている。
アートディレクターとして知られる北川氏の招へいは、現代美術などを駆使したイベントによる地域活性化の手腕を評価した篠田昭市長の肝いりだった。北川氏は就任後、「外に開かれた美術館」を目指して、「水と土の芸術祭」など美術の枠を広げる企画・展示に着手した。
一方、3人の学芸員には、作家や他の美術館と築いてきた信頼関係、自主企画展が国内外の美術関係者からも高い評価を得たという誇りがあった。定年が近い谷氏は仏像も扱える彫刻の専門家。常設展示室にあった3人が作った解説パネルは、3人目が異動した日に撤去されたままだ。
「まさか全員を異動させるとは。作品の保存と研究という美術館の使命、存在意義を忘れている。(市長は)美術館を完全に壊すつもりか」。追われた一人は不信感をあらわにした。
これに対し、篠田市長は反論する。「専門分野に限らず他の職場で行政事務を経験することで、職員の視野が広がり、さらに活躍の度合いが高まる」(新潟市美術館を考える会の質問状に)。北川氏も「どの美術館も事務職は2、3年で代わるのに学芸員は10年、20年の永久就職だから学芸員の王国になる。これまでの館長は名誉職で何も言わなかったが、篠田さんが強力な人間(私)を送り込んだ」と強調した。
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建築家、前川國男氏が設計した市美術館は85年10月「市民の美術館」として開館した。78年夏、市立高校美術教諭だった市橋哲夫さん(75)は当時、美術館建設を切望する市民の声や運動の高まりに胸を躍らせた。「美術館建設に役立ててほしい」と、地元百貨店で開かれた地元画家らの作品展示即売会に、自らの作品を提供した。
市美術協会は、こうした市民の声の受け皿となった。会長は美術館の運営方針を決める協議会委員として名を連ね、企画展の開場式には来賓として招かれるのが慣例になった。ところが、それも北川氏の就任後は事情が変わる。
08年9月2日、企画展「浦潮(うらじお)とよばれた街」の開場式。伊藤栄一・市美術協会長(77)は来賓としてテープカットする心づもりだった。しかしリボンや席は用意されておらず、一般招待客扱い。「なめられたかな」。式典終了後、北川氏と名刺を交換したが、抗議の言葉はのみ込んだ。
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北川館長体制のほころびは、09年夏、展示室でのかび発生という前代未聞の形で露呈する。版画家でコレクターとしても知られる木村希八さん(76)は、それを予感していた。信頼していた学芸員たちの異動を知り、その約3カ月前、寄託していた海外作家のコレクション52点を引き取った。「預けた作品がどうなるか不安だった。新しい学芸員とは引き継ぎをしなかった」
ポスター配布や物品販売などのボランティアで市美術館を支援する市美術館協力会。300人を超えていた登録者数は09年度206人まで減った。解説ボランティアの主婦、木南恵子さん(61)はつぶやいた。
「美術館は誰のものかしら。今は市民に愛される美術館でない気がする」。再生への道はまだ見えない。【立上修】(毎日新聞)
今回の新潟市美術館さん問題を、私なりにある会社にたとえて書いてみたいと思います(すべてフィクション?です)。
「ある地方都市にある、そこそこ老舗の食品会社。近年は新機軸に乏しく、株価は低迷中でした。そこで、あらたな大株主さんが社長を更迭。敏腕新社長を迎え、経営の刷新を図ります。新社長は体制を一新、売れない旧商品を切り捨て、ぞくぞく新商品を投入しました。飛ばされた旧社長や従業員たち、さらに旧商品を愛していた顧客はおもしろくありません。衛生管理上のアラを暴露。大株主や新社長の問題を追求します。新社長は更迭され、計画していた新商品発売は頓挫しました・・・」
近年の会社では日常茶飯事的な騒動ですね。ここから凡庸な「会社とは誰のものか」「会社とは誰のためにあるのか」という問いが導きだされます。
「社会」「株主」「従業員」「顧客」など、いろいろな答えがあるでしょう。が、それぞれが複雑な利害関係を持ち合わせているので、正解は「ない」と言ってもよい。従業員に愛される会社が、必ずしも多くの顧客の満足をえず、結果として株主に利益をもたらさない、などということはよくあります。CSRなど社会貢献のため、従業員の給料を下げる株主もいるでしょう。
会社と(公立)美術館が異なるのは、株主(首長や議員)が(地域限定の)顧客による選挙によって選ばれる存在か否か、ということでしょうか。あとは同じです。
今回の問題は、公立美術館であればどこでも起こりうる構造的な問題です。というより、「日本の公立美術館は、すべてこうした構造的問題を潜在的に抱えている」というべきでしょう。
ちょっと飛躍しますが、私は日本の美術館業界が、こうした問題を抱える「公立」美術館に偏重、依存しすぎていることこそが、最大の問題だと考えています。
posted by baikado at 11:26|
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新潟市美術館問題